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台湾人から見た日本 (いまだ滅びぬ日本人のサムライ精神)

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台湾人から見た日本
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博学にして無知な日本人

以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

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●被害者に命の尊さを説教する?
日本に来て一番感心したのは、日本人の知識の高さであり豊かさである。日本の一般庶民が、台湾の庶民に比べて豊富な知識を持っていることに驚かされた。ごく普通のおじさんやおばさんでもかなりの教養を持っていて、文化、芸術、文学など、いろいろなことについて知っている人が少なくない。

私は栃木県の片田舎で生活しているので、まわりには農家の人が多い。そこには俳句や短歌を作っているおじいちゃんやおばあちゃんたちがいて、彼らはよくその作品を私に見せてくれる。なかには、絵を描いているお年寄りもいて、その絵をもらったりもする。話をしてみると、国の経済状況にしろ社会状況にしろ、それなりの知識を持っていて、私の知らない話をよく聞かせてくれる。

日本に来る前から、日本人は本を読むのが大好きだと聞いていた。実際、日本に来て本屋をのぞいてみると、思っていた以上に出版されている数が多いのに驚かされた。あらゆる分野を網羅し、手に入らないものはないのではないかと思い、日本人は出版物には恵まれていると感心した。

おそらく日本人は、世界のどの民族と比べても知識の点では最高水準にあるのではないかと思われる。しかし、なぜか非常に幼稚とも見えるところがある。無知に近い、あるいは無知と言っていいような現象を見聞きすることが多い。

私がよく予防注射に行く栃木県今市市(現日光市)内の小学校で、一年生の女の子が殺害されるという事件が起こった。何とも酷い事件である。

このような事件が起こると、学校では決まって全校集会を開き、子供たちに命の尊さを説教する。しかし、これは異様な光景だ。被害者になっていたかもしれない子供たちに、命の尊さを説教するということにどういう意味があるのだろう。子供たちに命の尊さを説教するのは滑稽としか言いようがない。命の尊さを説教するなら、犯人にすべきなのである。子供たちに教えるのは、いかに自分の身の安全を守るか、それだけだ。

●人間の善の面ばかりを強調しすぎる日本の教育
日本の戦後教育を見ていると、人間の善の面ばかりを強調して、悪の部分には触れたがらない傾向が強い。まるで童話の世界を見ているようだ。しかも、それは幼い者に対するほど顕著で、制約を極力なくして、本能的な部分を尊重しているようだ。かつて小児科も担当していた私から見れば、これは子供の動物的部分を放置するようなもので、教育の放棄でしかない。

たとえば、個性の尊重を強調する。しかし、人間はそもそも自己中心的なので、教えずとも本能として個性を発揮する。学校教育というのは、自分の個性だけではなく他人の個性を尊重し、社会のルールを守ることを教える場だ。それを、個性や自由といった本能に類することを教えるというのだから、これが学校教育と言えるのかどうかはなはだ疑問だ。

また、幻の平和と反戦を吹聴する一方で、正義感と冒険心を意図的に子供たちから取り除こうとしている。そして、決まって命の尊さを説教する。子供の悪に相当する動物的部分を放置しながら、正義感と冒険心を抹消しようとするこのような日本の学校教育は、偽善的で偏っているとしか言いようがない。

そもそも、子供が善の存在だというのは幻想にすぎない。子供にも悪の部分はある。だからこそ躾が必要なのであり、さらにこの世には善もあれば悪もあるという現実を子供に教えるべきなのである。悪の存在を教えないような教育であれば、当然ながら悪に向かっていく正義感も育たない。また、我が身を守る心構えも育たないのである。

このような教育はつまるところ、子供に迎合して教育しているのである。知恵のある者が知恵のない者に合わせて教育しているということである。こういう教育の現状を見てしまうと、これは無知に基づいてやっているとしか思えないのである。

私は地域診療のかたわら、地元の小学校と中学校の学校医も務めている。日本の教育は子供に媚びる傾向が異様に強いように感じている。

子供を無垢で善な存在と考え、それに基づいておこなわれる個性尊重の教育は、結局、教育現場の崩壊をもたらしているが、これは教育責任の放棄以外のなにものでもない。なぜなら、それは人間は本来、善と悪を兼ね備えている存在であることを無視しておこなっている教育だからである。結果として、人間の悪の部分を矯正することを放棄し、善を伸ばすこともできないのだ。

子供を善の存在とする教育思想は、子供の悪の部分を放置して助長してしまう。実際、私の診療室に、親に対して命令形で話をしたり、バカと怒鳴りつけたりする子供を多く見かける。このような子供たちがどのような大人になるのかは、成人式での新成人の悪ふざけを見れば想像がつく。

なぜ賢いはずの日本の大人はわからないのか、台湾人の私は理解に苦しむ。いや、わからないはずがない。戦前の日本人は子供に媚びるような真似はしなかったという。しかし、現代の親や教師にとっては、個性の尊重を楯に、子供に媚びる方が楽だからだろう。

●知識やデータは蓄積できても、発言は許されない?
ところで、国家レベルから見れば、日本はありとあらゆる世界情勢に関するデータを持っている。日本の繁栄はこれらのデータによるところが少なくない。

先にも触れたように、二〇〇五年一二月八日、民主党の前原誠司代表(当時)がアメリカで中国の軍備増強について脅威だと発言したことがあった。当たり前のことを指摘したにもかかわらず、民主党内からは鳩山由紀夫幹事長をはじめ前原発言を非難する声が相次いだ。

一二月二二日、今度は麻生太郎外務大臣が閣議後の記者会見で、中国の軍備増強について「軍事費が一七年間、一〇パーセント以上伸びている。その内容はきわめて不透明だ。かなり脅威になりつつある。前原氏の『脅威、不安をあおっている』という言い分は確かだ」と発言したところ、山崎拓元自民党幹事長が「脅威と言ってしまうと、対処しなければならなくなる」と批判した。

もちろん中国は、前原発言にも麻生発言にも、根拠のない中国脅威論であり、「中国の発展が、日本を含むアジア各国に大きな発展のチャンスをもたらすなど、地域や世界の平和に貢献してきた」と、中国の軍備増強は日本の発展にも貢献したと嘯いて反発した。

この前原代表や麻生外相のケースに現れているように、日本では、いろいろなデータをそろえ、いろいろな知識を蓄積することは許されているが、その知識やデータに基づいて発言することや行動を起こすことは許されていないようだ。つまり日本では、研究するのはいいが、行動を起こしてはいけないことになっているようなのである。

世界では殺人、戦争、権謀術数、裏切り、闘争、資源の争奪などさまざまなことが起こっている。しかし日本では、このようなことは映画やドラマの世界の出来事と片づけ、まるで存在しないかのように考えて「臭いものにフタ」をしているように思われる。日本人を見ていると、そのようなことが世界で起こっているとは考えたくもないというふうだ。

 これは、ある外交官から聞いた話である。

外国人新聞記者が外務省の高官に「もし万が一、台湾と中国が戦争になったら、日本の外務省はどのような対策をとるのか?」と質問した。これはきわめて現実性の高い想定で、当然、対策はあるものと思って聞いたのだそうだ。すると高官は「われわれはそのような事態を発生させないように努めている」とだけ答えたという。

それだけだったので、その記者はもう一度「もし発生したらどうするのか?」と聞き直した。すると高官は「われわれはそのようなことは考えたくない」と答えたというのである。

確かに、外交官としては事態が発生する前にその芽を摘み取っておくのが役目と考えての発言だったのかもしれない。もちろん、それが外交官としての役割なのだから理解できなくもない。しかし、「考えたくない」とはどういうことだろう。発言の影響力を考えて「仮定の話には答えられない」と言うのならまだわかる。しかし、外交の最先端にいる外交官が考えなくて誰が考えるというのだ。

実はここに今の日本が透けて見えるのである。日本人には、世界で現実に起こっている戦争も殺人も暴動も略奪も「考えたくない」対象であって、映画やドラマという虚構の世界に押し込めてしまいたいのであろう。

●戦争の想定すらできない日本人
では、日本人は軍事学や世界情勢について無知であるかというと、決してそうではない。私が知っている自衛官にしても軍事マニアにしても、恐ろしいほどの軍事知識を持ち、世界情勢の分析も的確で、私はいつも感心しながら拝聴している。しかし、この知識を行動としてどのように活用するかについてはほとんど考えていないようだ。

たとえば、中国と日本の兵器などの戦力をよく知っている日本人に、「万が一、中国と日本が戦うときはどうするのか?」と問うと、途端に口が重くなって、まるで貝のように口をつぐんでしまうのだ。

このように、知識に基づいて事態を分析・予測して行動に移すということが日本ではタブーとなっている。そこで思考を停止してしまうのである。それゆえ、起こっていても、見て見ぬふりをし、起こりうると予測される事態であっても、非現実として考えないようにしているのが今の日本だと言ってもあながち間違いではあるまい。

それが冒頭に述べたような教育にも現れ、殺人事件があるたびに、学校は身を守るための行動については教えず、命の尊さを説教するだけに終始してしまうのである。また、自国の将来に関わる防衛をどうするかという問題では、戦争の想定すらできない日本人が増えつつあるのである。

おそらく大方の日本人は、日本が核兵器の脅威にさらされたとしても、かたくなに「非核三原則」を守るつもりなのかもしれない。しかし、前原誠司氏も指摘したように、すでに中国の核ミサイルは日本に向けて配備されているのである。これも「非現実」の事態だというのだろうか。

●いつまでも学生気分に浸っている日本人
日本に長くいればいるほど、日本人全員がずっと学生でいるのではないかという感じが強くなってきている。日本人全員が毎日、一所懸命に勉強しながら学校生活を送っているような思いにとらわれるのである。学校のキャンパスにいれば、学内で多少のいざこざがあっても、学外で起こっている陰謀や殺人や戦争からは保護され、仲間や先生に認められればそれでよしとして満足しているのである。

その点で、今の日本人は殺害された小学校一年生の女の子のようにも思えてくる。学校では一所懸命に勉強しているが、自分をどう守るのかを学校では教えてくれないし、自分もその術を身につけていない。学校のなかなら先生や仲間に守られているが、一歩、学校から出れば守ってくれる人はいない。

今の日本はアメリカに守られているが、アメリカが手を引いてしまえば、学校から一歩出た女の子と同じような立場に立つ。しかし、日本はどのようにしたら自立できるのかといった議論は、すぐに封じられてしまう。実行はおろか議論さえもまともにできない国なのだ。

日本をどう守るか、日本の置かれている状態はどうなのかなどについて、日本人はよく知っている。しかし、有事の際はどうするのか、どのように対処するのか、そのようなことについては立ち上がろうとしない。日本が集団的自衛権を実行できないでいるのも、これが原因していると言ってよい。

日本人は知識を持っている。しかし、学校で学んだ知識のように実際には役に立たない知識かもしれないし、そうでなかったとしても、使おうとしない知識であれば、いくら博学でも無知に等しいのである。

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台湾人から見た日本
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いまだ滅びぬ日本人のサムライ精神

以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

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●「日本精神」に憧れて日本へ来たが…
台湾で戒厳令が解かれたのは1987(昭和62)年7月のことである。私が大学を卒業したとき、台湾にはまだ戒厳令が布かれていた。戒厳令下においては、台湾人が海外に出ることは非常に厳しく制限されていた。しかし、大学生には特権が与えられていた。海外に留学する特権である。独裁政権から脱出するため、亡命する代わりに留学という手段が残されていた。

大学を卒業し、兵役を終えた台湾人のほとんどは留学するための試験に臨む。多くはアメリカを希望していた。しかし、私は最初から日本を希望していた。それは、父の影響が大きかった。父から、日本は武士道精神のある国だと言い聞かされていたからだ。私は武士道精神に憧れて日本にやって来た。

台湾人は武士道精神に憧れているというより、日本精神に憧れていたと言った方が適切かもしれない。私も「ギップンチェンシン」と台湾語で言われる日本精神に憧れていた。台湾人としては、武士道精神をそのまま日本精神と理解していた。台湾人から見れば、日本人はすべてサムライ精神を持っていると思っていたのである。

なぜ台湾人が日本精神に憧れているのかと言うと、台湾人にはないと思われた精神だったからである。台湾人が理解していた日本精神とは、滅私奉公、清潔感、規律、尚武、使命感、正義感などであるが、これらは台湾人には希薄か、持っていないものと思われ、日本人なら持っていると思われた精神だった。

来日して5日目に大学の研究室に入った。私のまわりはすべて日本人で、外国人は私一人という恵まれた環境だった。その当時の日本はバブル経済の真っただ中で、ジャパン・マネーで次々とアメリカの映画製作会社やシンボルとなる建物を買収し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた時代だった。その浮かれた気分が日本の至るところに浸透していたようで、「白い巨塔」といわれる医学部の研究室まで一種の成金的な驕りが充満していた。
 
当時の研究室では、しばしば「どうだ、この治療を台湾でできるか」と日本人医師から自慢気に聞かされた。しかし、台湾は医学の基礎研究こそ遅れていたものの、臨床治療の点においては決して日本に後れをとったことはない。逆に、当時の日本は倫理的問題で臓器移植法がまだ制定されていなかったため実質的に心臓移植が不可能であり、心臓移植や肝臓移植の臨床分野では台湾の後塵を拝していたのである。しかし、その事情を知らない日本人医師たちが台湾人の私の前に示したのは、日本精神とはほど遠い、鼻持ちならない優越感だった。ちなみに、日本で「臓器の移植に関する法律」が制定されたのは私が来日してから10年後の1997(平成9)年7月のことで、そのとき私はすでに栃木県に転居していた。

このような鼻持ちならない医師もいたが、幸運にも私の研究を直接指導してくださったのは、アメリカで研究を終えて東大に戻ってきたばかりの、まだ三〇代だった岡芳知先生(現在、東北大学大学院医学系研究科分子代謝病態学分野教授)だった。岡先生は当時さほど知られていない「糖輸送単体」(Glucose Transporter)研究の第一人者で、自分にも、教え子である私にも厳しかった。

当時の岡先生は私と一緒に、電気泳動用のガラス板や放射線測定用の小瓶などを、時間をかけてていねいに洗った。私は「このような仕事は研究助手にやらせてもいいのではないか」と不満に思い、それが顔に出たのだろう。岡先生は静かに、諭すように言われた。
「研究にはあらゆる段階で失敗がある。その失敗の原因は、往々にしてこのような細かなところで手を抜くことにある。だから、どんな細かい部分でも自分の手できちんとやると、たとえ失敗したとしても、失敗した原因を容易に見つけられるのだ」
私は、これはまさしく日本人の「匠」の精神ではないかと思った。これこそ、自分に厳しくそして誠実である「日本精神」ではないかと強く感じた。

最近になって、岡先生が東北大学の片桐秀樹教授らとの共同研究で、肝臓がセンサーと発信源となる肥満防止メカニズムを突き止め、その成果を2006年6月16日発行の科学誌「サイエンス」(アメリカ科学振興会発行)に発表したとの報道に接した。「サイエンス」は「ネイチャー」とともにもっとも引用される学術誌で、審査基準が厳しいことで有名だ。

詳細は不明だが、報道では「肝臓がカロリーのセンサーとして働き、基礎代謝を調節する機能は、これまで全く知られていなかった発見だ。今後は、研究チームが突き止めた神経ネットワークに作用する肥満解消薬の開発などが期待される」とあった。岡先生の厳しい研究姿勢をつぶさに見てきた私には何よりの朗報だ。「匠」の精神が自ずから導いた成果として心から祝福したい。しかし残念ながら、研究生活の七年間でそれ以外の「日本精神」に出会うことはなかった。

●冒険心と正義感を失なった日本人
日本人の「滅私奉公」という精神は、「私」という個人を滅して国家や社会という「公」に奉仕することだが、会社や大学のグループという単位に縮小された「公」においてなら、この精神に出会ったことがある。それでも日本人は台湾人に比べれば、「公」の方に重きを置き、「私」の比重は軽いように見受けられた。

また、「清潔感」に関しては、台湾人も日本人もさほど変わらないように思われた。ただし、それはいわゆる衛生上から見た清潔感のことであって、金銭面とか仕事関係で使うモラル的な清潔感の点においては、やはり日本人の方がまだまだ高いというのが率直な印象である。では、「規律」についてはどうかというと、組織のなかの上下関係や命令系統はそれなりにあるようだった。

「尚武」とは、読んで字のごとく武を尚ぶことだが、日本ではまだ自衛隊の存在が合憲か違憲かという議論が盛んだった。軍人という言葉も死語になっていて、自衛官になることを誇りとする若者は非常に少なかった。だから、武を重んじる精神は滅んでしまったのかと思ったが、形を変えてスポーツの世界に生き残ったようだ。

「使命感」については、これも広義の国家や社会から、会社単位や自分のまわりのグループに限られてしまったように見受けられた。

このように時代によって「日本精神」は変化しつつも、その本質はまだ残っているようだった。しかし、七年間でまったくお目にかかれなかったのは「冒険心」と「正義感」である。台湾人から見た日本精神のなかでもっともわかりやすいのは「強きを挫き、弱きを助ける」という精神である。その点で、「冒険心」と「正義感」は重要なメンタリティーだと思われた。

ところが、日本人は無難な方法、確実な方法をとり、冒険はしないという傾向が強く、それは職場においても国家においても同じだった。日本人は結果はどうあれ、何にでも果敢に挑むという精神を持っていたはずなのに、いったいいつからこんなにも合理的に考える民族になってしまったのだろうか。なんともこじんまりとしてしまい、私は大いに戸惑った。

「正義感」については、たとえば、新聞をにぎわせていた「いじめ」の問題を見て、日本の子供の世界がそれほどまでに陰湿になってしまったことが私には驚きであり、ショックでもあった。少なくとも台湾では、日本のような「いじめ」があるとは寡聞にして知らない。台湾でも喧嘩はよくある。しかし、日本のようにグループで一人をいじめるというようなことはまずない。このような形のいじめが頻発するのは、日本人が正義感を喪失した象徴ではないかと思った。

しかし、大学の研究室を出て、栃木県の片田舎で医療活動に携わりつつ、徐々に台湾の独立建国運動に関わるようになって、この思いも変わってきた。運動に参加してきた日本人と付き合うようになって、日本人はまだサムライ精神を失っているわけではないと思い直すようになったのである。

●人生のすべてを台湾独立運動に注いだサムライ
私が日本で会った初めてのサムライは、今でも台湾独立建国運動に指導的役割を果たしている宗像隆幸氏である。宗像氏は孫文を助けた宮崎滔天と同じ九州の出身で、片や鹿児島、片や熊本である。彼がかつて著した『台湾独立運動私記』の副題は「35年の夢」と付けられていて、これもまた、滔天の著書『三十三年の夢』を彷彿とさせる。確認したことはないが、おそらく滔天にならって付したのであろう。この副題からも宗像氏が独立建国運動に携わってきた心象風景が垣間見えるようだ。

1959(昭和34)年、まだ明治大学の学生だった宗像氏(1936年生まれ)は、同じ下宿にいた留学生の許世楷氏から声をかけられてこの運動に参加している。許世楷氏はのちに台湾独立建国聯盟主席となり、2004年7月、台湾の駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表処の代表に就任している。

宗像氏はこの許世楷氏から蒋介石政権の残虐ぶりを聞いて憤慨し、台湾独立建国聯盟の前身である台湾青年社に入る。それ以来、今日に至るまでの四五年間、台湾独立運動一筋でやってきた人物である。長年、「台湾青年」編集長をつとめ、自らも多くの論考を発表してきている。

宗像氏がやってきたことは、われわれ台湾人にはなかなか真似できるものではない。台湾人の独立運動家は、私のように医者をやったり先生をやったり、片方で生計を立てつつ参加してきたし、今でもそうである。しかし彼は、台湾独立運動こそ我が事業だとして、すべての時間を投入して取り組んできたのである。

独立に命を懸けるとはどういうことかについては『台湾独立運動私記』に詳しく書き記しているが、運動のために彼は二度も拘置所に入れられ、台湾政府に批判的な留学生を強制送還しようとした日本政府に対してハンガーストライキを敢行するなど、体を張って行動している。これまでの台湾独立運動のすべての面に関わってきたと言ってよい。

このような宗像氏の活動について、許世楷駐日代表夫人で、これまで共に独立運動に携わってきた盧千恵氏はあるとき、申し訳ない思いを込めて「人生の全部を独立運動に注ぎ込んでよかったと思う?」と聞いたことがあったそうだ。そうすると宗像氏は「うん。独立運動なき人生なんて考えられないよ。よかった、よかった」と、鷹揚に答えてくれたという(「台湾青年」停刊記念号掲載「私達の青春は勇敢な歌」)。やはり、サムライ精神の持ち主である。宗像氏は今でも台湾独立建国聯盟日本本部の中心的人物であり、彼の建国の理論は独立運動の重要な指針となっている。

台北で独立ビラを撒いて逮捕されたもう一人のサムライ。もう一人は、やはり台湾独立建国聯盟に参加している小林正成氏である。小林氏は東京の下町で中小企業を営む経営者であるが、台湾の戦後の悲惨な状況を聞き、義侠心からこの運動にかかわる。1967(昭和42)年、小林氏が34歳のときだった。

当時、台湾は独裁政権の真っただ中にあり、このさ中の1971(昭和46)年の5月9日、「母の日」を選び、その夜、小林氏は台湾独立や戒厳令解除などを主張したビラを台北市内のビルの屋上からバルーンにつけてばら撒いたのである。その結果、警備総司令部に逮捕され、四カ月も勾留されることになる。さんざん調べられて、国外追放となって日本へ帰国したのは8月31日の深夜だった。

羽田に着いたときの小林氏のひと言がふるっている。外事課の刑事を黙らせた絶妙なやり取りを小林氏の自著『多謝、台湾│白色テロ見聞体験記』から紹介してみたい。
「小林さん、もう懲りたでしょう」
「何がでしょう?」
「いや、今回のような事件ですよ」
「いえいえ、今までは秘密盟員でしたから。こんな事態になって秘密盟員という訳にはいかんでしょう。これからは正々堂々、正面から行動し、全力でやりますよ」
「われわれは小林さんから、これからは台湾の政治問題にはいっさい関わらない、という言葉が出てくる事を期待していたんですがね」
その言葉に私は、人の気持ちを理解出来ない唐変木と思ったが、「台湾には、無実の罪で抹殺されようとしている仲間が沢山いるのです。自分が安全な場所に身を置いたとたん、ヤーメタなんて、とてもじゃないが私には出来ませんよ」

外事課の刑事は小林氏のこのひと言にただただ驚くばかりで、小林氏を自宅まで車で丁重に送り届けたそうである。これが小林正成氏なのである。サムライである。

●李登輝・ビザ発給問題で尽力した二人の若きサムライ
私は1999(平成11)年に在日台湾同郷会の会長に就任した。当時の在日台湾同郷会は資金もなく会員もほとんどいない、壊滅寸前の組織だった。

この年の9月21日午前1時47分、大地震が台湾を襲った。震源地は台湾中部の南投県の集集鎮というところだった。その大きさは、4年前に起こった阪神・淡路大地震のマグニチュード7・2を上回る7・7だった。震源地から約150キロ離れた台北市でも、12階建てのビルなどが倒壊し、犠牲者数は2440人を数えた。

当時の台湾は任期を8カ月残すばかりになっていた李登輝氏が総統で、夜の明けるのを待って、総統執務室へも寄らずに被災地へ直行して自ら陣頭指揮を執るなど、迅速果敢に救済活動を進めた。のちにこのときの活動は『台湾大地震救災日記』としてまとめられ、日本語で出版されている。

またこのとき、日本政府は世界で一番早く、そして過去最大規模の国際緊急援助隊を台湾に派遣してくれたことを覚えている台湾人は今でも少なくない。私自身も、日本隊が台湾に一番乗りしてくれたときの感激を昨日のことのように覚えている。

私たちも祖国の窮状を救おうと、台湾に帰り被災地に入ってボランティア活動したり、東京で活動をはじめた。このとき一緒に救済活動をしてくれたのが、当時、台湾研究フォーラム代表だった柚原正敬氏であり、事務局長だった永山英樹氏である。地震からさほど日を経ない土曜日、柚原・永山両氏をはじめとする台湾研究フォーラムの有志が池袋駅東口の街頭に立って募金活動をはじめたのだった。これには多くの在日台湾人が感激した。

その後、翌々年(2001年)の四月になって総統を退任した李登輝氏が心臓病の治療のため来日するにあたり、日本政府がビザを発給しないという問題が発生した。このときも台湾研究フォーラムの柚原・永山両氏は、われわれ在日台湾同郷会と一緒に外務省前で座り込みデモを敢行したのだった。

4月11日には「日本政府が入国ビザ申請を事実上拒否」という報道に接し、これは台湾人の尊厳を踏みにじるものとして、私は在日台湾同郷会会長として日本政府へ抗議と決定の変更を要求した。台湾研究フォーラムの柚原氏もこれに呼応して翌12日、「李登輝氏へのビザ発給問題に関する声明」を発表し、日本政府に対して人道に則った措置と中国の内政干渉を排した主権国家としての威信を示すよう抗議したのだった。

その後も紆余曲折はあったものの、4月20日の深夜、ようやく河野洋平外相は李登輝氏に対するビザ発給を決定し、4月22日、李登輝氏は関西国際空港に降り立つこととなったのである。このとき、約400人の日台有志が手に手に日の丸や台湾旗を千切れんばかりに振りつつ関空に出迎えたのである。

しかし、今でも記憶に新しいのは、当時の河野外相が「中国のことに想いを致し、慎重に扱わねばならない」とか、槇田邦彦アジア大洋州局長が「今の時期、そんなことをすれば、日中共同声明とのかかわりで政治問題化する。査証発給は難しい」と言って、中国に阿る発言をくり返していたことだ。また、このときの陳健中国大使が「治療は口実だ。訪日によって中国を分裂させ、日中関係を破壊する」とまで李登輝氏を誹謗したことは、決して忘れられない。

今や李登輝前総統はノービザで来日できるようになった。たかだか5年ほど前のことなのに今昔の感を覚えるのは私一人ではあるまい。

●台湾問題では一番の精鋭部隊に成長
この台湾研究フォーラムは、一冊の本からはじまった。1955(昭和30)年生まれの柚原氏は20代後半に出版社を設立している。1996(平成8)年春、編集長だった柚原氏の担当で『台湾と日本・交流秘話』という本を出版した。台湾で大学学長をつとめていた許國雄氏を監修者に、大学教授だった名越二荒之助氏と日台交流団体の事務局長をつとめる草開省三氏を編者とし、若手執筆人を中心に、戦前からの台湾と日本の交流史をまとめたものだ。柚原氏も執筆に加わっている。当時、この出版社にいた永山氏も執筆者の一人だ。そのほかには、神社関係者や学校の先生、歯科医、会社員など総勢16名が執筆に加わっていた。

ところが、柚原氏をはじめ若手執筆者は全員、祖父母が台湾生まれであるとか、身内に台湾人と結婚した人がいるとか、台湾と特別な縁があったわけではない。ほとんどが台湾は未知の世界だった。そこで、柚原氏は名越教授から原稿が届いたことをきっかけに、執筆者の勉強会を兼ね研究会発足を思い立つ。それが台湾研究フォーラムの前身の台湾研究会である。

発足時は執筆者4、5人ではじめたそうで、少し名前が知られてきたときでも11、12名の小さな研究会だったという。ところが、毎月1回の研究会を重ねるうちに若手の論客や知識人がどんどん入会して会員が増えはじめ、今では優に100名を超している。台湾問題では一番の精鋭部隊と言ってよい。

●正名運動から日本李登輝友の会の創立へ
李登輝前総統の来日問題が落ち着いてすぐのことである。2001(平成13)年6月9日、私は在日台湾人の外国人登録証(外登証)の国籍記載を中国から台湾に改めることを求め、在日台湾同郷会内に「正名運動プロジェクトチーム」を発足させた。

日本に住む外国人は随時、外登証を携帯しなければならないが、在日台湾人の外登証の国籍欄は、日本政府によって台湾ではなく中国と強制されていることを広く訴え、その改善を求めていく運動をはじめたのである。のちにこの問題の原点は「中華民国」という国名にあるのではないかと考え、台湾にいる同志にこの運動を渡し、最終的には李登輝前総統が「正名運動」のリーダーに立って牽引している。

この正名運動を日本ではじめたとき、8月5日に都内のホテルで「台湾人の外国人登録証国籍を正す日台緊急国民集会」を開催した。私以外の講師は、杏林大学教授の伊藤潔氏、弁護士の柳川昭二氏、そして台湾研究フォーラムの柚原正敬氏であり、司会をつとめたのが永山英樹氏だった。約200人が参加し、国籍記載の改善を日本政府に求める決議文を採択した。

この3日後の8日には、柚原・永山両氏ら日台の有志と共に、法務省や東京入国管理局へ向け「台日共闘・国籍正名運動」と銘打った外登証改善要求デモを敢行し、東京入国管理局では国民集会で採択した決議文を手交して抗議している。

日本の建国運動と台湾の建国運動は、ほぼ同質の問題を含んでいる。日本が歴史認識問題なら台湾はアイデンティティの問題であり、日本が憲法問題なら台湾も憲法問題なのである。日本でも台湾でも、まさに本来の姿に戻るための「名を正す」正常化運動が必要とされているのである。

そこで、在日台湾同郷会と台湾研究フォーラムを中心に、日台共栄のシンボルである李登輝前総統の名前を冠して翌2002(平成14)年12月15日、日本文壇の第一人者である作家の阿川弘之氏を会長に創立したのが日本李登輝友の会である。その後、阿川氏は名誉会長に退き、副会長だった前拓殖大学総長の小田村四郎氏が会長となっている。現在、1500名ほどの会員を擁するこの日本李登輝友の会は、日本では最大の親台湾団体となっている。

宗像隆幸氏と同じように、彼らはすべての時間を日本李登輝友の会の活動に注いでいる。私にとっては同志であり、親友であり、人生の師でもあるといってよい。私が彼らに見たのはまさに正義感と冒険心だった。しかも、彼らは台湾が大好きというのはもちろんだが、日本のためにも運動に参加しているのである。建国とは必ずしも台湾の建国に限らない。日本再生の建国も含まれるのである。

●「日華」を「日台」に改めた初の団体
栃木県に来て巡り会えたサムライが、日光にある有名な「明治の館」の経営者であり、栃木県柔道整復師会会長を務める宇井肇氏(講道館七段)である。

宇井氏と知りあったとき、彼は栃木県日華親善協会の理事だった。当時、多くの日本人がB介石に恩義を感じ、台湾を「中華民国」と呼び、日本と台湾との友好団体のすべては「日台」ではなく、「日華」と冠していた。しかし、蒋介石は台湾人を虐殺した元凶であり、中華民国とは全中国を代表するという虚構の上に成り立つ、台湾人を圧迫している占領体制だ。

その事情を説明すると、宇井氏は得心し、それなら「日華」を「日台」に改めなければと言い、日華親善協会を日台親善協会に改名するよう理事会で提案した。しかし、一般の日本人は現状を変えることにはかなり慎重で、ましてや戦後数十年来信じられてきたB介石神話が一朝一夕に消えるわけがない。案の定、この提案は流れた。

しかし、武の精神を持つ宇井氏はそのまま引き下がることはなかった。理事会で「台湾と親善友好を図ろうとする団体が台湾人を圧迫する『中華』という名前を冠することは、日本人の独り善がりであり、台湾人を侮辱する以外の何ものでもない」と堂々と意見を述べ、同じ理事で親友であった故川田仁氏と一緒に日華親善協会を脱会したのだった。

そして2002(平成14)年3月3日、宇井氏を会長に、川田氏を副会長として、日本で初めて団体名に台湾を冠した「栃木県日台親善協会」を日光に設立したのだった。そのとき、祝辞を寄せた「老台北」こと蔡焜燦氏は感激のあまり、この設立を「義挙」と表現したほどだった。日本人がやっと台湾の真実を真剣に見つめてくれるとの感激であろうと私は思った。その栃木県日台親善協会は今や大きな力となり、日本の地方から台湾の建国を支えていくモデルケースとなっている。宇井肇氏、彼もまたかけがえのない同志の一人なのである。

私が日本に来たのは1987(昭和62)年4月のことだから、かれこれ20年あまりになる。東大時代の恩師は別として、7年目で日本のサムライと出会い、今まさにこの日本のサムライたちと一緒に台湾の独立建国運動に携わっている。私が彼らに見たのは、冒頭で述べたような、滅私奉公、清潔感、規律、尚武、使命感、正義感、冒険心である。つまり、武士道精神・日本精神そのものを私は彼らに見出したのである。

私は彼らの凛とした姿を間近に見つつ、日々、切磋琢磨しながら一緒に運動を進めている。台湾が独立するまでにはまだまだたくさんの試練が待ち受けていると思うが、少なくともこのような日本人の愛国の士と一緒に台湾の独立建国運動ができることは、私にとっては人生最大の幸せであると思っている。
 

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【武士道精神の実践】ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐 
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日本兵法研究会会長の家村です。時代を問わず「武士道精神」を実践した武人たちの感動的な物語を紹介いたします。

日本人が長い歴史を通じて培い、磨き上げ、守り続けてきた価値観や伝統精神が『武士道精神』です。「精神」なるがゆえに、姿や形が無く、目には見えません。しかし、確実に「存在する」ものであることを、優れた先人たちの言動や生きざまの中から感じ取ってまいりましょう。

【第15回】武士道精神の実践:ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐

 遠い南の島パラオに、日本の歌を歌う老人がいました。
 「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」

沖の島を指差しながら、老人はつぶやきました。大東亜戦争の時、その老人は村の若者たちと共に日本軍の陣地作りに参加しました。日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたといいます。パラオ諸島は最初はスペイン、次いでドイツの植民地でした。第一次世界大戦(一九一四年)が始まって、ドイツに宣戦布告した日本は、パラオのドイツ守備隊を降伏させます。戦後、国際連盟はパラオを「委任統治領」として日本に面倒を見させることにしました。
 
当時のパラオ先住民の人口は、約六千人。スペインの植民地になる前の人口は約六万人だったといいますから、いかに白人の植民地政策がすさまじいものだったかわかるでしょう。日本は、パラオに南洋庁を置き、稲作や野菜、果実の栽培を伝えました。また、缶詰やビールなどの工場を建設。道路を造り、橋を架け、電話をひき、学校、病院をつくるなど、数々のインフラを整備しました。パラオ人は文字を持っていませんでした。そこで、小学校では日本の教科書を使い、平等に日本語教育を施しました。小学校一年で九九を暗唱したといいます。日本教育を経験した人は「学校の厳しいしつけが人生に役立った」といっています。

1941(昭和16)年、日本とアメリカの戦争が始まりました。パラオ・ペリュリュー島は、日本にとって、グアムやサイパンの後方支援基地として、また、日本の「絶対的防衛圏」として重要な拠点でした。しかし逆に、アメリカ軍にとっては、フィリピン奪回の最大の障害がペリリュー島の日本軍基地だったのです。アメリカ太平洋艦隊は、チェスター・ニミッツ提督の指揮のもと、ペリリュー島の攻略作戦を開始しました。この時点で、ペリリュー島の住民は約九百名。米軍が迫りくることを察知した住民たちは話し合いました。彼らは、白人統治の時代と日本統治の時代の両方とも経験しています。日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌った住民たちの決断は・・・、「大人も子供も、力を合わせて日本軍とともに戦おう!」でした。

いつも温厚で優しい隊長なら、自分たちの頼みをきいてくれるに違いない。きっと一緒に戦うことを許してくれる・・・。意を決した住民の代表たちは、ペリリュー島の守備隊長である中川州男(なかがわくにお)大佐を訪れました。そして、中川隊長に「自分たちも一緒に戦わせてほしい」と申し出ます。それを開いた中川隊長は、驚くような大声をあげて答えました。それは・・・、

 「大日本帝国の軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」

住民たちは驚きました。「日本人は・・・、仲間だと信じていたのに、見せかけだったのか・・・」「帝国軍人が、貴様ら土人、と一緒に戦えるかっ!」という中川隊長のひどい言葉。「日本人は仲間だと信じていたのに…」。日本人に裏切られた思いで、悔し涙が流れました。

そして数日。パラオ本島に避難するため、ペリリュー島を去る日がきました。港に見送りの日本兵の姿は一つもありませんでした。住民たちは、がっかりして船に乗り込んでいきます。そして、出港の合図が鳴り、船が岸辺を離れました。すると、次の瞬間です。ペリリュー島に残る日本兵全員が、浜に走り出てきました。そして、住民たちと一緒に歌った日本の歌を歌いながら、ちぎれるほど手を振って彼らを見送っているではありませんか。ともに過ごしてきた兵隊さんの顔、顔、顔・・・。先頭には笑顔で手を振る中川隊長。

その時、船上の住民たちはすべてを理解しました。「日本の兵隊さんたちは、我々の命を助けるために、あんな態度をとったのだ」と。遠く岸辺に見える日本兵に向かって、住民たちは号泣しながら、ちぎれんばかりに手を振りました。誰もが泣いていました。

1944年9月12日、ペリリュー島の戦いが始まりました。「日本軍1万」対「米軍4万8千」。米軍の持つ火力は、日本軍の数百倍です。猛烈な爆撃と艦砲射撃で日本軍が浴びた砲弾は、何と17万発・4千トンに達し、ジャングルは完全に焼き払らわれました。一人の日本兵を倒すのに1589発の砲弾を使用した計算になるそうです。9月15日、「三日で占領できる」と豪語して、米軍海兵隊2万8千名が上陸を開始しました。対する日本軍は、どうしていたのでしょうか?
 
実は、地下深く穴を掘り、米軍の上陸を待ち構えていたのです。自在に往き来できるようにトンネルでつないだ地下壕や洞穴は、何と五百ケ所以上。一人用の壕「タコツボ」も無数に掘り、ペリリュー全島を要塞化していたのです。中川隊長の統率はみごとでした。

米軍上陸直後、水際での戦闘は壮絶でした。米軍の第一次上陸部隊は大損害を受け、退却を余儀なくさせるほどでした。米兵の血で海岸が赤く染まり、今でもこの海岸は「オレンジビーチ」と呼ばれています。

10月30日、米軍第一海兵師団が全滅。主力部隊が損失率四~六割を超え、「戦闘能力喪失」と判定され、差し替えが続きます。米軍はその上陸作戦史上、最大の損害を出してしまいました。三日で占領するはずだった戦いは七十日も続く激戦になりました。その間、日本軍には補給がありませんので、徐々に劣勢に陥っていきました。米軍の火炎放射器と手榴弾によって、日本軍の洞穴陣地は次々と陥ちていきました。食料も水もなくなりました。

11月24日、日本軍は弾薬・兵力ともに尽き、中川州男隊長は玉砕を決意し、割腹して自決します。享年四十七でした。残存兵力55名による最後の総攻撃に際して、ペリリュー島から日本本土に向けて電文が送られました。その言葉は「サクラサクラ」。ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味しています。こうして11月27日、ついにべリリュー島は米軍に占領されました。

米太平洋艦隊司令長官のニミッツは、命を捧げて愛する祖国を守ろうとした日本兵に強く心を打たれ、ペリリュー島守備隊の勇戦を讃えて、次の詩を作っています。

  この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ
  故郷に帰ったら伝えてくれよ
  日本軍人が全員玉砕して果てた
  この壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を

 日本軍 戦死者1万695名。
 米軍  戦死者2336名、戦傷者8450名。
 島の住民 死者・負傷者0名。

 ペリリュー島の戦いは、住民に一人の犠牲者も出さなかったことで知られています。

戦後、パラオはアメリカに統治されることになりました。しかし、1981年、ついにパラオは独立を果たします。独立にあたり、国旗を制定することになり、国民からデザインを募集しました。その結果、日の丸とよく似た今のデザインが採用されました。周囲の青は太平洋の海の色。真ん中の黄色い円は満月を表しています。月は日本の国旗「日の丸」の太陽に照らされて輝く。日本とパラオの深い友好関係を示しているのだそうです。パラオ国旗の満月は、日の丸と違い、中心から少しズレていますね。「日本に失礼だから」とわざと中心をはずしたのだといいます。パラオの人々の控えめな性格が伝わってきます。(出典:某中学校 道徳教育資料)

(「ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐」終り)(いえむら・かずゆき)


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